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    • 2017.01.17 Tuesday
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    1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記 7月16日〜7月23日

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      1か月に及ぶ過酷な1950年巨人二軍の東北・北海道遠征も終盤。北海道から再び東北へ移り転戦。


      7月16日留萌 → 7月17日移動日 → 7月18日弘前ダブルヘッダー → 7月19日熊代 → 7月20日秋田 →7月21日水沢ダブルヘッダー → 7月22日仙台→7月23日若柳ダブルヘッダー


      1950年7月16日 留萌 21/30
      巨人 000 200 0  00 =2
      松竹 001 420 010A =17
      ●岡部、中村−永井
      本塁打=永井
      松竹打線は5本塁打含む21安打。8回裏には大量10得点で17−2と巨人を圧倒。


      1950年7月18日 弘前 22/30
      阪神 000 002 010 =3
      巨人 402 212 03A =14
      ○松田−永井
      本塁打=永井
      巨人は初回に永井の3点本塁打などで4点を先制。その後も効果的に追加得点を重ねて圧勝。松田は5連勝。


      1950年7月18日 弘前 23/30
      松竹 200 001 302 =8
      巨人 000 003 040 =7
      持田、中村、●岡部−永井
      本塁打=加地
      松竹が3点リードで迎えた8回裏、巨人は加地の3点本塁打で大逆転。しかし喜ぶのもつかの間、9回表にリリーフの岡部が捕まり松竹が再逆転。最終的には松竹が逃げ切った。


      1950年7月19日 熊代 24/30
      巨人 000 300 010 =4
      阪神 141 401 00A =11
      ●中村、持田−永井
      巨人は投手不足のため本職が捕手の中村が先発も阪神打線につかまる。3本塁打を浴びて11失点大敗。


      1950年7月20日 秋田 25/30
      巨人 000 306 100 =10
      松竹 000 200 500 = 7
      ○松田−永井
      5連勝中のラッキーボーイ・松田が先発。被安打14で7失点も、大量得点の援護に守られ完投勝利。これで松田は本遠征6連勝を達成。


      1950年7月21日 水沢 26/30
      阪神 001 000 020 = 3
      巨人 100 024 00A = 7
      ○岡部−永井
      本塁打=宇野、太田
      宇野が3安打1本塁打4打点。永井が4安打。加地が3安打。岡部が完投勝利。


      1950年7月21日 水沢 27/30
      松竹 022 110 000 = 6
      巨人 101 016 02A =11
      ○持田、松田−永井
      本塁打=藤原
      序盤は松竹が優位に試合を進めるも、宇野、藤原、加地、中村の4選手が3安打で巨人が逆転。これで巨人は本遠征通算16勝10敗1引分で優勝が決定した。


      1950年7月22日 仙台 28/30
      巨人 000 000 340 = 7
      阪神 210 102 001 = 7
      岡部、持田、松田−永井
      6回終わった時点で阪神が6−0でリードし一方的な試合展開になるも、巨人打線は7回に3得点、8回に4得点で逆転。6勝負けなし、ラッキーボーイの松田がマウンドに立ち巨人が逃げ切るかに思われたが、粘る阪神は9回に同点に追いつくがここまで。引き分けに終わる。


      1950年7月23日 若柳 29/30
      阪神 470 114 010 =18
      巨人 010 230 010 = 7
      ●岡部、持田−永井
      阪神は奥村の3本塁打含む合計7本塁打と打線が大爆発。巨人の岡部、持田の2投手は阪神打線に被安打18、18得点を献上して大敗。


      1950年7月23日 若柳 30/30
      松竹 000 000 110 = 2
      巨人 000 021 00A = 3
      ○松田−永井
      本塁打=加地、宮本
      1か月に及ぶ過酷な遠征の最終戦。5回に加地、6回に宮本の本塁打で巨人が試合を優位に運ぶと、本遠征で投手に再転向し急成長した松田がまたしても好投。完投で7連勝。巨人は最終戦を白星で飾った。



      元日本テレビアナウンサーの越智正典氏が、「ながく忘れることができない奮闘」と書籍に記した1950年6月23日から始まった巨人二軍、松竹二軍、阪神二軍による東北・北海道遠征を巨人目線で紹介してみました。最終成績は、優勝した巨人が17勝11敗2引分、松竹、阪神はともに12勝15敗1引分でした。試合ごとの個人別の打数、安打の簡易な打撃成績も分かっていますが、今回は試合のスコアのみを掲載しました。

      度々紹介しましたが、本遠征で投手に再転向した松田は、投げては7勝負けなし、打っては68打数19安打、2本塁打、16打点と投打にわたる大活躍を見せました。


      現在、二軍戦と言えば観客の少ない球場で試合をするようなイメージがありますが、テレビが普及していなかったこの当時、野球を見るためには球場に足を運ぶしか術がなく、また交通機関も全然発達していなかったため、地方の野球ファンにとって野球観戦に行くことは高嶺の花でした。

      そのため、地方の野球ファンにとっては二軍だろうとプロ野球チームが自分たちの街に来ることは一大イベントであり、二軍が地方遠征に出れば多くの観客が球場に足を運び大繁盛でした。驚くことに、球場のキャパによっては二軍戦に1万人以上の観客が足を運びました。二軍が一軍とは独立した興業として成り立っていた時代もあったのです。

      巨人の二軍は毎年のように長期の北海道遠征を組んでいました。日本ハムが北海道に移転する前までは、北海道=巨人ファンの街と言っても過言ではないくらい巨人ファンが多い時代がありました。こうした昔からの二軍の活動が実を結んだ結果でもあったのではないかと思っています。


      1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記 7月8日〜7月15日

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        1か月間に及ぶ1950年巨人二軍の東北・北海道遠征も折り返し地点。

        7月8日帯広Wヘッダー → 7月9日釧路 → 7月10日移動日 → 7月11日函館 → 7月12日移動日 →7月13日室蘭ダブルヘッダー → 7月14日室蘭→7月15日移動日


        1950年7月8日 帯広 14/30
        阪神 100 400 000 = 5
        巨人 300 200 30A = 8
        ○岡部−永井
        本塁打=宇野
        1回裏に宇野兼任監督が3点本塁打で逆転。一度は阪神に逆転されるも7回裏に藤原、永井のタイムリーで再度逆転。岡部は5回以降は立ち直り完投勝利。


        1950年7月8日 帯広 15/30
        松竹 000 1  00 010 = 2
        巨人 010 4101 02A =18
        ○松田−永井
        本塁打=松田、宮本、永井
        巨人打線は中島が5安打、藤原、宮本が3安打、合計21安打と打線が爆発。5回裏には一挙に10得点。投手再転向の松田は投げては無四球完投、打っては本塁打と投打にわたる活躍で本シリーズ初勝利。


        1950年7月9日 釧路 16/30
        巨人 000 000 018 = 9
        松竹 002 300 020 = 7
        持田、○岡部−永井
        8回終わった時点で7−1と松竹は大量6点をリード。しかし9回表に驚異の粘りを見せる巨人打線は5安打を集中し、さらに松竹投手陣の4四球やエラーも絡んで一挙に8得点。巨人は大逆転勝利で3連勝。


        1950年7月11日 函館 17/30
        巨人 020 100 010 =4
        阪神 100 000 000 =1
        ○松田−永井
        本塁打=永井
        巨人先発の松田は初回にショート太田のエラーが絡んで1点を先制されるも、その後は阪神打線をシャットアウト。2試合連続の無四球完投勝利を飾る。


         1950年7月13日 室蘭 18/30
        阪神 010 020 200 =5
        巨人 000 102 24A =9
        岡部、○松田−永井
        本塁打=宮本、藤原
        5−5の同点で迎えた8回裏、巨人は満塁のチャンスを作るとフィルダースチョイスと松田のタイムリーで4点を奪い勝ち越し。勝利投手は2番手の松田で、自身3連勝。


        1950年7月13日 室蘭 19/30
        松竹 103 400 100 =9
        巨人 080 000 001 =9
        持田、岡部−永井
        本塁打=宮本、永井
        2回裏、巨人は宮本の満塁本塁打、宮本の2点本塁打などで大量8得点。序盤で勝負あったかに思われたが、松竹は3回に3得点、4回に4得点で同点に追いつくと、7回表に勝ち越し大逆転。粘る巨人は9回裏に松田がタイムリーで同点に追いつきそのまま日没コールド。かろうじて負けは逃れた。


        1950年7月14日 室蘭 20/30
        巨人 302 000 100 =6
        阪神 000 010 002 =3
        ○松田−永井
        本塁打=藤原、宇野
        巨人は初回に藤原の3点本塁打、3回に2点本塁打の一発攻勢。先発の松田はまた無四球で完投勝ち。


        過酷な遠征も折り返し地点に突入しますが、巨人二軍は6勝1引分と絶好調。中でも投手に再転向した松田が先発3試合はいずれも無四球完投勝ち、リリーフも含めて4連勝と大活躍でした。

        1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記 7月1日〜7月7日

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          1950年6月23日に上野を出発しスタートした巨人二軍の1か月に及ぶ東北・北海道遠征。東北での転戦を終え、いよいよ北海道シリーズに突入します。


          7月1日札幌Wヘッダー → 7月2日札幌 → 7月3日小樽 → 7月4日芦別Wヘッダー → 7月5日北見 →7月6日綱走 → 7月7日移動日


          1950年7月1日 札幌 7/30
          阪神 200 001 000 = 3
          巨人 030 000 10A = 4
          ○持田−永井
          本塁打=藤原、中島
          先発の持田が立ち上がりに2点を先制されるも巨人は2回裏に藤原の本塁打などで逆転。6回に同点に追いつかれるが、7回裏に中島が勝ち越し本塁打。持田は完投で本遠征初勝利。巨人は連敗を4で止める。


          1950年7月1日 札幌 8/30
          松竹 060 002 020 =10
          巨人 332 000 102A=11
          中村、松田、○岡部ー永井
          本塁打=藤原
          両軍合わせて22安打の乱打戦。巨人の松田は正月大会以来、6か月ぶりにマウンドに上がる。藤原の本塁打で巨人が逆転サヨナラ勝ち。


          1950年7月2日 札幌 9/30
          巨人 210 100 130 = 8
          阪神 400 020 000 = 6
          ○岡部ー永井
          本塁打=宇野
          7回表に宇野兼任監督の本塁打で1点差に詰め寄り、8回表に加地、宮本のタイムリーで逆転。先発の岡部は阪神打線に14安打を浴びながらも粘りの投球で完投勝ち。これで巨人は北海道上陸後は3戦3勝。


          1950年7月3日 小樽 9/30
          巨人 001 000 000 =  1
          松竹 420 231 00A = 12
          ●岩下、中村ー永井
          先発の岩下が乱調。立ち上がりに1安打、4四球で1回持たずにKO。代わった中村も5四球。岩下、中村の2人で9四球を献上し12−1と大敗。


          1950年7月4日 芦別 10/30
          松竹 210 200 010 =6
          巨人 014 022 00A= 9
          ○持田ー永井
          試合序盤は取って取られてのシーソーゲームも、巨人打線は5回裏に永井、太田のタイムリー、6回裏に宇野、宮本のタイムリーで松竹を突き放した。


          1950年7月4日 芦別 11/30
          阪神 000 140 012 =8
          巨人 500 120 03A= 11
          ○岡部ー永井
          本塁打=永井2、宮本
          1回裏に永井の満塁本塁打、宮本の本塁打で5点を先制。永井は5回にも2点本塁打でこの試合だけで6打点。8安打で2ケタ得点の巨人打線の効率の良さが目立った。


          1950年7月5日 北見 12/30
          巨人 400 232 000  =11
          阪神 103 031 301A=12
          松田、●持田ー永井
          本塁打=岩下、太田
          後に一軍で20連勝を記録する松田清が本シリーズ初先発。阪神打線に3本塁打を浴び11失点と大炎上も、巨人打線の11得点のため勝ち負けつかず。リリーフの持田が11−11で迎えた9回裏、阪神・島田に本塁打を浴びて巨人はサヨナラ負け。


          1950年7月6日 網走 13/30
          巨人 000 200 000 =2
          松竹 311 000 00A =5
          ●持田ー永井
          本塁打=永井
          松竹は初回に3点、2回、3回には本塁打で序盤から5−0と大量リード。巨人は4回表に永井の本塁打で2点を挙げるも反撃もここまで。


          巨人二軍は北海道上陸後、1週間でダブルヘッダー2試合を含む8試合をこなす過酷なスケジュールでした。そのため投手不足に陥り、一度は野手に転向した松田が再び投手に転向します。

          1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記 6月23日〜6月30日

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            1950年6月23日、巨人二軍は上野発の汽車に乗り遠征に出ます。まず最初に向かった先が福島県の郡山。ここから過酷な日程の旅が続きます。

            6月23日上野出発 → 6月24日郡山 → 6月25日会津若松 → 6月27日花巻Wヘッダー → 6月28日釜石 →6月29日〜30日移動日


            1950年6月24日 郡山 1/30
            巨人 300 031 000 = 7
            松竹 000 000 000 = 0
            ○岡部−永井
            初回にスクイズなどで3点を先制。巨人先発の岡部は松竹打線を散発4安打無得点に抑え完封勝ち。巨人は幸先よく白星スタート


            1950年6月25日 会津若松 2/30
            巨人 000 000 210 = 3
            阪神 331 000 00A = 7
            ●持田、岩下、中村−永井
            先発の持田が乱調で初回3失点で1回KO。2番手の岩下もピリっとせずに3失点。序盤で大量得点を許してあっさりと敗戦。
            宮本、宇野、藤原のクリーンアップトリオは全員2安打と気を吐いた。


            1950年6月27日 花巻 。魁殖械
            阪神 001 110 002 = 5
            巨人 001 000 100 = 2
            ●岡部ー永井
            1点を先制されるが、3回にすかさず同点に追いつく。しかし、3安打1四球を絡めながら走塁ミスもあって1点止まり。


            1950年6月27日 花巻◆。粥殖械
            松竹 050 000 000 = 5
            巨人 121 000 000 = 4
            ●中村、持田−永井
            松竹は2回表、二死からの6連打5得点で中村をKO。巨人は2回裏にすかさず太田、中島のタイムリーで2点、3回裏にも1点を返して1点差にまで詰め寄るが一歩及ばなかった。


            1950年6月28日 釜石 5/30
            巨人 002 201 113 = 10
            松竹 201 040 33A = 13
            ●岡部−永井
            本塁打=藤原、永井、岡部
            両軍合わせて25安打、9本塁打が飛び交った乱打戦を制したのは松竹。松竹の小林章は3打数3安打2本塁打。これで巨人は4連敗


            6月28日、一軍では藤本英雄が青森球場で西日本パイレーツを相手に日本プロ野球史上初の完全試合を達成しています。
            この翌日、青森駅で北海道に渡るために下り列車を待っていた二軍選手たちは、上野へ戻るために上り列車に乗車する藤本英雄とたまたま顔を合わせています。

             

            1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記

            0
              元日本テレビアナウンサーの越智正典氏は、自身の著書「ジャイアンツの歴史」の中で、「1950年巨人二軍の奮闘は、ながく忘れることができない」と記しています。巨人二軍はこの年の6月24日〜7月23日の間に阪神二軍、松竹二軍と帯同して東北・北海道への遠征を敢行し、30日間に30もの試合をこなしています。

              しかし残念ながら「忘れることができない」どころか、巨人二軍がどのように奮闘をしていたのか今の時代まで語り継がれていません。



              突然話しは飛びますが、「東京ジャイアンツ北米大陸遠征記」の著者である永田陽一氏は、アメリカまで飛び1935年に実際に東京ジャイアンツが訪れた試合地の新聞記事を収集し、かつ可能な限り関係者にインタビューを実施するなどして遠征の実態を丹念に調べ上げ、これまでこの遠征の勝敗として発表されていた数字が実は間違っていたということを明らかにし、不明な部分が多かった1935年東京ジャイアンツの遠征の詳細を解明しています。

              東京巨人




              この著書を読んでからかなり触発され、「分からないのであれば調べればいい」と、私も当時の現地北海道の新聞を調べるなどして、可能な限り1950年6月24日〜7月23日までの間の巨人二軍の遠征の実態を追ってみることにしました。



              日本ハムが北海道に移転する前は、北海道=巨人ファンと言っても過言ではないくらい、北海道では圧倒的に巨人人気の時代がありました。巨人二軍は1950年代〜1960年代、毎年のように興行性を重視した北海道へ長期間の遠征を実施し、一軍が行くことのないような辺鄙な場所へも足を運んでいました。二軍でありながら多い時には1万5千人もの観客が球場に足を運んでおり、こういった活動が北海道=巨人ファンというような風土を作っていくきっかけになったのではないかと個人的には思っています。


              最初に紹介の通り、1950年の北海道遠征は30日で30試合をこなす超過密スケジュールが組まれていました。巨人二軍は、この試合に宇野二軍監督含めてわずが12名で臨みます。


              <巨人二軍の遠征参加者>
              投手 岡部宏、持田誠、岩下守道
              捕手 永井洋二郎、中村国雄
              内野手 宇野光雄(監督)、加地健三郎、太田敏彦、松田清
              外野手 宮本二郎、中島執、藤原利実


              今後、複数回にわたって30試合の詳細を明らかにしていきます。

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