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    1950年 巨人二軍 東北・北海道遠征記 7月16日〜7月23日

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      1か月に及ぶ過酷な1950年巨人二軍の東北・北海道遠征も終盤。北海道から再び東北へ移り転戦。


      7月16日留萌 → 7月17日移動日 → 7月18日弘前ダブルヘッダー → 7月19日熊代 → 7月20日秋田 →7月21日水沢ダブルヘッダー → 7月22日仙台→7月23日若柳ダブルヘッダー


      1950年7月16日 留萌 21/30
      巨人 000 200 0  00 =2
      松竹 001 420 010A =17
      ●岡部、中村−永井
      本塁打=永井
      松竹打線は5本塁打含む21安打。8回裏には大量10得点で17−2と巨人を圧倒。


      1950年7月18日 弘前 22/30
      阪神 000 002 010 =3
      巨人 402 212 03A =14
      ○松田−永井
      本塁打=永井
      巨人は初回に永井の3点本塁打などで4点を先制。その後も効果的に追加得点を重ねて圧勝。松田は5連勝。


      1950年7月18日 弘前 23/30
      松竹 200 001 302 =8
      巨人 000 003 040 =7
      持田、中村、●岡部−永井
      本塁打=加地
      松竹が3点リードで迎えた8回裏、巨人は加地の3点本塁打で大逆転。しかし喜ぶのもつかの間、9回表にリリーフの岡部が捕まり松竹が再逆転。最終的には松竹が逃げ切った。


      1950年7月19日 熊代 24/30
      巨人 000 300 010 =4
      阪神 141 401 00A =11
      ●中村、持田−永井
      巨人は投手不足のため本職が捕手の中村が先発も阪神打線につかまる。3本塁打を浴びて11失点大敗。


      1950年7月20日 秋田 25/30
      巨人 000 306 100 =10
      松竹 000 200 500 = 7
      ○松田−永井
      5連勝中のラッキーボーイ・松田が先発。被安打14で7失点も、大量得点の援護に守られ完投勝利。これで松田は本遠征6連勝を達成。


      1950年7月21日 水沢 26/30
      阪神 001 000 020 = 3
      巨人 100 024 00A = 7
      ○岡部−永井
      本塁打=宇野、太田
      宇野が3安打1本塁打4打点。永井が4安打。加地が3安打。岡部が完投勝利。


      1950年7月21日 水沢 27/30
      松竹 022 110 000 = 6
      巨人 101 016 02A =11
      ○持田、松田−永井
      本塁打=藤原
      序盤は松竹が優位に試合を進めるも、宇野、藤原、加地、中村の4選手が3安打で巨人が逆転。これで巨人は本遠征通算16勝10敗1引分で優勝が決定した。


      1950年7月22日 仙台 28/30
      巨人 000 000 340 = 7
      阪神 210 102 001 = 7
      岡部、持田、松田−永井
      6回終わった時点で阪神が6−0でリードし一方的な試合展開になるも、巨人打線は7回に3得点、8回に4得点で逆転。6勝負けなし、ラッキーボーイの松田がマウンドに立ち巨人が逃げ切るかに思われたが、粘る阪神は9回に同点に追いつくがここまで。引き分けに終わる。


      1950年7月23日 若柳 29/30
      阪神 470 114 010 =18
      巨人 010 230 010 = 7
      ●岡部、持田−永井
      阪神は奥村の3本塁打含む合計7本塁打と打線が大爆発。巨人の岡部、持田の2投手は阪神打線に被安打18、18得点を献上して大敗。


      1950年7月23日 若柳 30/30
      松竹 000 000 110 = 2
      巨人 000 021 00A = 3
      ○松田−永井
      本塁打=加地、宮本
      1か月に及ぶ過酷な遠征の最終戦。5回に加地、6回に宮本の本塁打で巨人が試合を優位に運ぶと、本遠征で投手に再転向し急成長した松田がまたしても好投。完投で7連勝。巨人は最終戦を白星で飾った。



      元日本テレビアナウンサーの越智正典氏が、「ながく忘れることができない奮闘」と書籍に記した1950年6月23日から始まった巨人二軍、松竹二軍、阪神二軍による東北・北海道遠征を巨人目線で紹介してみました。最終成績は、優勝した巨人が17勝11敗2引分、松竹、阪神はともに12勝15敗1引分でした。試合ごとの個人別の打数、安打の簡易な打撃成績も分かっていますが、今回は試合のスコアのみを掲載しました。

      度々紹介しましたが、本遠征で投手に再転向した松田は、投げては7勝負けなし、打っては68打数19安打、2本塁打、16打点と投打にわたる大活躍を見せました。


      現在、二軍戦と言えば観客の少ない球場で試合をするようなイメージがありますが、テレビが普及していなかったこの当時、野球を見るためには球場に足を運ぶしか術がなく、また交通機関も全然発達していなかったため、地方の野球ファンにとって野球観戦に行くことは高嶺の花でした。

      そのため、地方の野球ファンにとっては二軍だろうとプロ野球チームが自分たちの街に来ることは一大イベントであり、二軍が地方遠征に出れば多くの観客が球場に足を運び大繁盛でした。驚くことに、球場のキャパによっては二軍戦に1万人以上の観客が足を運びました。二軍が一軍とは独立した興業として成り立っていた時代もあったのです。

      巨人の二軍は毎年のように長期の北海道遠征を組んでいました。日本ハムが北海道に移転する前までは、北海道=巨人ファンの街と言っても過言ではないくらい巨人ファンが多い時代がありました。こうした昔からの二軍の活動が実を結んだ結果でもあったのではないかと思っています。


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