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    上田利治コーチの二軍戦出場記録

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      監督として阪急の黄金時代を築いた上田利治。関西大学時代は村山実とバッテリーを組み1959年に広島に入団。肩を故障したため選手としては3年で見切りをつけるが、球団は上田の指導者としての資質を見抜き、1962年からは25歳の若さで広島の二軍コーチに抜擢されている。


      25歳で専任コーチに就任するのは日本プロ野球史上最年少だったと言われるが、実は1962年の上田利治は現役の選手としても球団に籍を残していた。とは言え選手としては廃業状態で専らコーチ業に専念していたが、6月6日のウエスタンリーグ近鉄戦のダブルヘッダーの第2戦目に「二番一塁」でスタメン出場している。


      前年の1961年、深刻な選手不足に悩む国鉄が林田章三二軍コーチをシーズン中に現役復帰させ、イースタンリーグの試合に出場させて選手不足の穴埋めをするケースはあったが、上田コーチの場合は選手不足の穴埋めではなかった。
      普段なら試合中は一塁コーチャーズボックスに立っていたが、「コーチャーズボックスに立っているよりも、若手の中にとけこんだ方がナインをひっぱっていく上での効果がある」という上田コーチ自らの考えによる試合出場だった。


      すると上田コーチは、1回裏の第一打席でさっそくヒットを打つと、2回裏の第2打席では二点タイムリーヒット。コーチとして最初の試合出場で二打席連続ヒットとハッスルした。


      1962年の上田利治の二軍戦成績
      ueda


      コーチ自らが試合に出場することによって選手を引っ張っていく効果があったかどうかは定かではないが、1962年、上田利治はウエスタンリーグで5試合に出場。3試合で2安打以上を記録している。7月12日以降は出場機会はなくコーチ業に専念した。


      野球史の中では「1961年限りで現役を引退して、1962年からは史上最年少で専任コーチに就任した」とされているが、一軍での実働こそなかったが、本当の現役引退は1962年だったと言えるだろう。

       

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