スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    • 2017.01.17 Tuesday
    • -
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    巨人三軍の動向

    0
      今年、巨人は三軍を創設した。三軍監督は川相昌弘、コーチは阿波野秀幸、秦真司、後藤孝志、金城龍彦、円谷英俊、穴吹育大がつとめ、社会人、大学生、独立リーグを相手に1年間で90試合近くの交流試合が行われることが発表されている。


      巨人は1990年〜1991年の二年間、三軍制度を敷いていたので、正確には25年ぶりに三軍制が復活したということになる。
      しかし25年前は、当時認められていた支配下外の練習生たちが三軍に位置付けられ、三軍は練習生の基礎体力作りやケガ人のリハビリを目的としていたため、三軍として実際に試合をしたことはなかった。よって、選手の育成を目的とした本格的な三軍ということでは今年からとなる。


      巨人軍の公式HPに三軍の簡易な試合結果が公開されているが、ソフトバンクのように三軍の個人別の通算成績までは掲載されていない。おそらく今後、公開もされないだろう。
      個人別の記録を見ることによって、支配下に近い選手が誰かを把握できたり、選手一人一人の成長の跡が見えるはずだ。そこで、ここまでの巨人三軍の足跡を追ってみた。




      三軍初試合は2月14日の巨人二軍戦。同一チーム同士なので紅白戦とも思えるが、二軍対三軍と銘打って行われた試合なので、この試合を初の三軍戦と解釈する。

      3月末まで9試合を戦い2勝5敗2引き分け。1試合平均2.1得点。3月21日の青森大戦で9得点と打線が爆発したが、それ以外の8試合はすべて3点以内。とにかく打てない。現状の力は大学野球に近い程度ではないだろうか。


      続いては個人別の成績。
      *すべて個人調べのため、正確な記録とは限りません



      昨年まで支配下選手だった坂口が3割以上の成績を残している。
      アブレイユは3月31日に支配下登録されたが、イースタンリーグでは今日現在24打席ノーヒット。

      川相三軍監督の次男、川相拓也は全試合に出場して28打数7安打。盗塁数はチーム1。父に似た二番打者タイプだが、三振が多いのが気になる。支配下登録のためには、とにかく打力を強化することだろう。FAで出戻りの脇谷もリハビリのため三軍戦に1試合出場している。


      続いては投手の個人成績
      自責点が不明のため、防御率は失点から計算。


      ウーゴ、長谷川の2人が3月28日に支配下登録されている。
      打者陣は打ててないが、投手陣は好調。チーム全体で71回で21失点。防御率は3点台を切っている。
      田原啓吾が14.2回を投げて失点2と好調。一軍での実績十分の宮國、大竹寛も調整のため三軍戦のマウンドを踏んでいる。
      かつての守護神で最多セーブのタイトル獲得者でもある西村健太朗が三軍でも結果を残せていないのが気になる。


      4月9日からは四国ILリーグ、BCリーグとの交流戦も始まる。なお、これらの試合はそれぞれのリーグの公式戦扱いとなる。
      4月以降も引き続き、三軍の動向を追いたい。

      加藤博一の思い出

      0
        過ぎてしまったが、1月21日は大洋時代にスーパーカートリオの一人として活躍した加藤博一の命日。
        亡くなったのが2008年だったので、ご存命であればまだ64歳。今もなおテレビで活躍しているはずだ。

        私が野球を見始めた頃は既に現役晩年に差し掛かっており、「たまに代打で出てくる」程度だったので、正直プレーヤーとしてはあまり印象に残っていないが、現役引退後は解説者として野球中継やプロ野球ニュースでよく見かけた。


        なぜこんなことを書くかというと、私が通っていた高校は学年ごとに年に一度著名人を招いての講演会を行っていたが、私が高校3年生だった1998年2月に講演にきたのが加藤博一だった。記憶では、当初はマラソンの谷川真理が来る予定だったが、体調不良により急遽代役になったのが加藤博一だったはずだ。

        テーマはもちろん「私の野球人生」
        解説者としてテレビで見る通りで、とにかく話が面白かった。講演から20年近く経つが、話した内容は今でもよく覚えている。


        ・西鉄入団1年目から先輩にかわいがられ、二軍選手だったのに夜になると中州で一軍選手と合流
        ・二軍ではよく打ったが、当時の二軍監督の和田博実に嫌われていため二軍で活躍しても一軍に推薦してもらえなかった
        ・阪神に移籍してセリーグの好待遇に驚いた
        ・江川だけには強かった
        ・○○選手が打てないのは、入団時に球団から○○を贈られて、活躍しなくても生活に困らないから


        きわどい球界の裏話しもしたりで、かなり笑いを取っていた。
        二軍ではよく打ったが、二軍監督の和田博実に嫌われていたため一軍に上げてもらえなかったという話をしていたが、実際に加藤は二軍でどの程度の成績だったのか。



        ※1980年と1981年の一部記録は未調査


        和田博実が西鉄・太平洋の二軍監督だったのは1974年〜1977年。加藤は1974年〜1975年の2年間被っている。
        確かによく打っているが、一軍には上がっていない。本人が話していた通り、嫌われていたのだろう。

        キャリア通算203勝だった斎藤雅樹

        0
          久々にブログ更新。

          先日、2016年度の野球殿堂入りが発表された。斎藤雅樹は最も好きだった選手の一人。
          思えば自分にとって1990年代は野球熱が最も高かった時代。斎藤が投げる試合は本当に負ける気がしなかった。


          ピッチングもさることながら、打ってもしばし野手顔負けのバッティングを見せた。
          それゆえに1年目の1983年は、二軍首脳陣の間でも投手をさせるべきか野手をさせるべきかで意見が割れた。
          5月、当時の藤田監督が「自分の目で確かめる」ために二軍練習場の多摩川グラウンドを視察。
          その際に横から投げることを指示し、投手で行くことが決まった。


          サイドスローの転向を指示したのは藤田監督だったが、新人時代の斎藤はずっと二軍にいたため、その後、実際に指導したのは二軍投手コーチの木戸美摸。木戸二軍投手コーチの功績も大きいのではないか。


          斎藤は今年から二軍監督に配置転換。そんな斎藤の現役時代の二軍での成績。
          二軍通算では23勝。一軍の180勝と合計すると、キャリア通算で203勝となる。

          斎藤雅樹

          一度は1985年に一軍でブレークするが、その後3年間は伸び悩み。1989年以降の働きについてはいまさら言うまでもないが、
          入団1年目の1983年から1988年までの間は二軍でも48試合に登板して15完投、22勝。
          1989年に11連続完投勝利で「ミスター完投」の異名がつくが、二軍ではその兆しがあったのだ。


          せっかくなので、打者としての斎藤の二軍成績も掲載。



          この表には載せていないが、犠打が通算10個。11打席に1個の割合で四球を選んでおり、1984年には投手ながら盗塁を記録。
          やはり野手としてのセンスもあったのだということを感じさせるSTATSだと思う。
           

          金城龍彦の父のプロ野球選手時代

          0
            セ、パ両リーグともにクライマックシリーズのファイナルステージが終了し、今シーズンも日本シリーズを残すのみとなった。
            各球団の戦力外通告も始まり、阪神は金本、DeNAはラミレスの監督就任が発表され、巨人は原監督が退任。ストーブリーグも本格的に熱くなりつつある。


            しかし、シーズン中もペナントレースとは関係ない事を書き続けてきた当ブログ。もちろん、日本シリーズ、ストーブリーグはガン無視で独自路線で二軍史に特化した内容を書きたいと思う。


            昨日、巨人の金城龍彦の現役引退が発表された。昨年オフにDeNAの高田GMから引退勧告を受けるもこれを拒否。FA権を行使して巨人に移籍した。シーズン当初こそ勝負強さを発揮したが、6月以降はケガの影響もあって二軍での調整が続いていた。
            17年のプロ野球生活にピリオドを打つことになったが、金城の父親・晃世もプロ野球選手だったということはあまり知られていない。
            金城晃世がどういうプロ野球選手だったかという情報もほとんどない。そんな金城晃世の2年間のプロ野球での足跡を調べてみた。


            左投左打の投手。1966年、ドラフト外で近鉄に入団。現役生活はわずかに2年。1968年10月6日、阪急とのダブルヘッダー第1戦に二番センターで出場。しかし、打席が回ってくるとすぐに代打・小川亨が送られて交代。いわゆる偵察メンバーとしての出場だった。金城にとってこれが最初で最後の試合出場となった。


            二軍でもほとんど出場していない。
            1年目の1967年、ウエスタンリーグ・阪神戦で初出場するが、この時は本職の投手としてではなくレフトの守備固めだった。
            6月20日の阪神戦で2番手として初登板。3回を投げて被安打2、三振0、四球4、自責点1。

            7月29日のウエスタンリーグ・南海戦で初先発のマウンドを踏むが、被安打2、四球1で1つのアウトも取れずにノックアウト。リリーフが打たれて自責点3が記録されたが勝ち負けは付かなかった。





            2年間の成績は上記のとおり。2年間でも二軍戦に登板したのはわずかに6試合。
            2年目の1968年は支配下登録から外れ、この当時近鉄が構想した三軍に位置付けられた。当時の防御率計算は回数の端数は四捨五入計算だったため、1/3で0イニングの扱いとなったため防御率は∞。
            通算10回1/3で四球は9個。コントロールに難があったのだろう。

            イースタンリーグ初の後楽園球場

            0
              1954年6月に行われた二軍公式戦、新日本リーグの試合において、観客の子供にファウルボールが直撃し死傷事故が起こって以降、後楽園球場は二軍の試合開催を拒否するようになった。


              事故のほとぼりが冷めてからも、巨人と東映の二球団が本拠地にするがゆえの過密日程もあったが、首都圏開催時は観客がほとんど入らずに採算の取れる見込みのない二軍戦を開催することは敬遠され続けてきたが、イースタンリーグが再開してから8年目の1968年4月14日、14年ぶりに後楽園球場で二軍戦が解禁された。


              巨人対大洋のダブルヘッダー(第2試合は非公式戦)が組まれるが、事前から大々的に宣伝したこともあって当日は1万人もの観客を動員した。第1試合と第2試合の合間には紅白出場歌手の島和彦ショーや巨人選手のサインボールの投げ入れも行うなどファンサービスも充実させ、二軍戦とは思えないほど華やかな試合となった。


              当日の客入りが心配された首都圏開催の二軍戦でありながら1万人の観客を動員したことに関係者は気を良くし、次回は後楽園球場でナイターの二軍戦を開催する計画も立てられた。


              1968年4月14日 後楽園球場
              大洋二軍 000 001 001 = 2
              巨人二軍 240 012 00X = 9
              (洋)島田、新治、淵上ー福島
              (巨)倉田、菅原ー矢沢 


              1968年4月14日(練習試合) 後楽園球場
              大洋二軍 000 100 000 = 1
              巨人二軍 120 020 00X = 5
              (洋)大竹、稲川ー福島
              (巨)宇佐美、山内、中村ー矢沢
              <本>山下、矢ノ浦、矢沢(巨)


              PR

              calendar

              S M T W T F S
                   12
              3456789
              10111213141516
              17181920212223
              24252627282930
              31      
              << December 2017 >>

              野球ブログ瓦版!

              ゆるすぽweb

              selected entries

              categories

              archives

              recent comment

              • 三軍の歴史−下−
                名無し
              • ルーキーイヤーの松井秀喜の二軍成績
              • ライト中畑清
                管理人
              • ライト中畑清
                XLIV
              • 金城龍彦の父のプロ野球選手時代
                マニア
              • 山崎福也の父は二軍の強打者だった
                れみちち
              • 巨人軍多摩川グラウンド跡地を訪ねて
                管理人
              • 巨人軍多摩川グラウンド跡地を訪ねて
                管理人
              • 巨人軍多摩川グラウンド跡地を訪ねて
                たか
              • 吹石徳一の二軍成績
                イレブン

              links

              profile

              search this site.

              others

              mobile

              qrcode

              powered

              無料ブログ作成サービス JUGEM