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    • 2017.01.17 Tuesday
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    新人王が出なかった年

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      その年に最も活躍した新人選手に与えられる新人王のタイトルが始まったのが、セ・パ両リーグに分立した1950年。
      個人的に今年の新人王は、セリーグが大瀬良(広島)、パリーグが石川(ロッテ)ではないかと思っています。
      新人王の表彰が始まって今年で65年ですが、65年の歴史の中で唯一セ・パともに新人王が出なかった年が1963年。


      しかしこれには、とある事情がありました。



      前年の1962年、内村祐之氏がコミッショナーに就任します。そして内村コミッショナーの発案により1963年より新人選手の「研修制度」が始まります。新人選手はシーズン前に研修講座を受けたのち、一軍の公式戦に出場できない研修期間が設けられました。研修期間は成人者は開幕から50試合、未成年者は開幕から100試合とし、この間は一軍公式戦の出場を制限されたのです。


      1963年は大橋勲(巨人)、辻佳紀(阪神)、三沢今朝治(東映)、林俊彦(南海)らの注目の新人がいましたが、当然、鳴り物入りで入団の新人だろうが一軍の試合には出場できないため、二軍の試合への出場を強いられました。開幕からの試合出場制限が設けられたため、当然この年はセ・パともに突出した成績の新人選手はおらず、新人王が出なかったのです。

      しかしこれが思わぬ副作用も生みます。二軍の試合に注目の新人が出場するということもあり、イースタンリーグ、ウエスタンリーグの試合の観客が大幅に増えました。
      イースタンリーグは東京での試合は例年であれば100名前後しか観客が入らないところ、神宮第二球場での巨人ー大毎の開幕戦には1700人もの観客を集めました。また、記者席には常時複数の記者が足を運んだと言います。

      しかし、球団関係者としては大枚をはたいて獲得した新人選手に出場制限が設けられるのは当然おもしろくありません。翌1964年には研修期間は5月いっぱいと短縮され、1965年からは完全に廃止されたのでした。


      空前のドラフト当たり年となった1989年に入団の選手に、「もし研修制度があったら」1年目はどんな成績になったのかと妄想は膨らみます(笑

      二軍監督・コーチはイースタンリーグの試合に出場できた

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        9月に開催された昭和20年代野球倶楽部で、「昭和20年代のファーム(二軍)の世界」という発表をさせていただきました。
        その時に発表した内容の一部を広尾晃さんの「野球の記録で話したい」でご紹介いただきましたが、この件についてさらに詳しく掘り下げてみようと思います。


        その昔、イースタンリーグでは二軍の監督、コーチの試合出場が認められていました。
        1966年7月に開かれたイースタンリーグの幹事会で「選手へ手本を示すため」に、二軍の監督、コーチの出場が許されることが決まります。1960年代は各球団ともに選手数が少なく、ファームの試合に投手が野手として出場するということがよく起こっていました。「選手への手本」というのは建前にすぎず、選手不足を補うために二軍監督、コーチも試合に出場してもOKというのが本当のところでした。


        コーチで実際に試合に出場した第1号が巨人の二軍コーチ・福田昌久。
        1966年9月29日の大洋戦対巨人戦(川崎球場)に福田は8番レフトでスタメン出場。結果は4打数1安打でした。
        さらにこの日に行われたダブルヘッダーの第2試合にも8番レフトでスタメン出場。3打数0安打で8回表に代打・淡河が送られて途中交代します。コーチとはいえ、福田はこの時は33歳。まだまだ体が動いたのでしょう。


        他には1968年4月5日の東京対サンケイ戦(武山球場)。親分の愛称で親しまれた東京の二軍打撃コーチ・大沢啓二が試合途中からレフトのポジションにつき、延長12回まで試合に出続けました(3打数0安打)。

        約1年後の1969年6月12日のロッテ対アトムズ戦(武山球場)。
        8回裏にマウンドに上がったロッテの安藤、堀田の2投手がピリッとせず、2四球と1安打で1アウト満塁のピンチを作ると、ロッテはたまらずに投手交代。ここで5番手としてマウンドに上がったのが二軍投手コーチ・植村義信でした。植村は1961年に引退しているため、実に8年ぶりのマウンドでした。
        8年ぶりの登板に力んだのか先頭の中新井に押し出しの四球で1点を与えてしまいますが、次打者の君島を併殺に打ち取り、1アウト満塁の絶体絶命のピンチを最少の1失点で切り抜け、見事に「選手への手本」を示しました。


        ちなみに二軍の監督、コーチがイースタンリーグの試合に出場できる規約は1983年までありました。
        私が確認できた二軍監督、コーチの試合出場は上で紹介した3件ですが、もしかしたら他にも試合に出場していた監督、コーチはいたかもしれません。

         

        投手・柴田勲

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          巨人一筋でプレーした柴田勲といえば、日本人初のスイッチヒッターとして知られ、赤手袋をトレードマークに1・2番打者としてV9に多大なる貢献をしました。

          入団時は投手。しかしながら投手としては1年目に6試合に登板して0勝2敗、防御率9.82と結果を残せず、その後、野手にコンバートされます。そんな柴田は新人時代に結果が残せずに二軍落ちしてすぐに野手にコンバートされたように思われがちですが、二軍落ち後、実はイースタンリーグで投手として登板をしています。
          そこで、柴田の1年目(1962年)のイースタンリーグでの記録をまとめてみました。


          9月23日の詳細が不明ですが、13試合に登板し2完封含む7勝を挙げています。防御率も1点台。
          打者としても打率3割以上をマーク、しばし代打で起用されている試合もありセンスの良さを見せていますが、投手としても決して烙印を押されるほどのものではなかったのではないかと思えます。
          投手を続ける以上に野手にコンバートした方がいいという判断だったのでしょうが(実際、大成功した)、「もし柴田がこのまま投手を続けていたら」どうなったのか興味あります。


          ※1962年の柴田勲のイースタンリーグ成績(9月23日は不明)
          柴田勲
           

          巨人軍FA戦線〜プロテクト大予想〜

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            日本シリーズが終わり、阪神・鳥谷のメジャー挑戦や、オリックス・金子千尋の去就に注目が集まっていますが、そんな中飛び込んできたのが、DeNAの金城、ヤクルトの相川を巨人がFAで獲得の意向の報。


            「ロートルの2人が本当に必要なの?」という声はさておき、仮に相川をFAで獲得した場合、Bランクの選手になるため人的補償を求められるケースもあり得ます。ましてや巨人、ヤクルトの二軍は同じイースタンリーグに所属し、真中新監督は現役晩年を二軍で過ごし、引退後の2009年〜2013年までの間は二軍コーチ、二軍監督を歴任しただけに、巨人の若手選手のことは知り尽くしていると言っても過言ではないでしょう。相川がFAで巨人に移籍した場合、人的補償で目をつけている選手がいるとしても不思議ではありません。


            FAの人的補償でプロテクトできるのは28選手。そこで、巨人がFAで相川を獲得した場合、誰をプロテクトするのかを個人的に大予想してみます。

            <投手>
            澤村、大竹、杉内、菅野、内海、西村、山口、小山
            <捕手>
            阿部、小林
            <内野>
            坂本、片岡、村田
            <外野>
            長野、亀井、高橋由、橋本、大田


            以上の18名は確実でしょう。
            「高額のベテラン選手には手を出さない」という声がよく聞こえますが、仮にも生え抜きで将来の幹部候補生の内海、阿部、高橋由らが流出するようなことは絶対に許されないので、まず確実にプロテクトするでしょう。今年の終盤、長距離砲としての大器の片りんを見せかけた大田も外せません。


            18名はすぐに上がりますが、難しいのは残り10名の選定。
            ヤクルトというチームの性質を見ると、成長著しい山田、雄平を筆頭に野手は揃っていますが、投手が壊滅状態。ゆえに、投手を指名してくる可能性が高いというのが個人的な見解です。


            残り10名の候補を挙げてみると、
            <投手>
            久保、香月、高木京、福田、宮国、田原、松本竜、青木、今村、江柄子、笠原
            <捕手>
            実松、加藤、河野、鬼屋敷
            <内野>
            寺内、藤村、井端、中井
            <外野>
            鈴木尚、松本哲、矢野


            おそらくこのあたり。ヤクルトのチーム事情からすると投手を厚くプロテクトしたいところです。
            去年は開幕投手を任された将来のエース候補の宮国、同じくエース候補の3年目の左腕今村の2人は伸び悩んでいるものの、素材の良さを誰もが認めるところなので外せません。さらに終盤にロングリリーフとして適性を見せた高木京、勝ち星はなかったものの19試合に登板して防御率2点台の江柄子、DeNAのグリエルとの口論が記憶に新しい笠原も若手の中では抜けている存在だけに外せません。田原も巨人投手陣の中でも珍しいサイドスローなだけに残しておきたいところです。

            これで6名なので残りはわずかに4枠。生え抜き最年長の久保、41試合に登板した香月、貴重なワンポイントの青木も流出は避けたいところですが、年齢やプロテクトできる人数の枠を考えたらやむを得ないでしょう。


            続いては捕手。
            相川が入団した場合、小林と正捕手を争うことになるが、捕手という特異な性質のポジションがゆえに、ヤクルトには若い中村がいるとはいえ経験豊富な相川が流出する以上、経験のある控え候補の捕手は欲しいところでしょう。投手とともに狙われる可能性は十分にありますが、名前の挙がっている4名はいずれも「3番手捕手候補」なのだ。ここはあえてスルーで捕手の追加プロテクトはなし。

            内野手は、かつて盗塁王も獲得し、内野、外野を守る藤村は残しておきたいところ。今年はケガにないたけど、一昨年革新的な活躍を見せた中井も残しておきたい。井端、寺内の両ベテランはごめんなさい。
            よって、内野手は藤村、中井の2名で残り枠は2。

            最後は外野手。
            まず代走屋として何度となく勝利に貢献した鈴木尚は絶対に外せません。
            今年は不調ながらも代打として勝負強い矢野、守備のスペシャリスト松本哲は、、、、ごめんなさい。これもやはり年齢と枠で・・・
            外野手で鈴木尚の1名でこれで27名。


            あれ?プロテクト枠は28名。
            そう、まだ1名枠があるのだ。ここで敢えて推すのは3年前のドラ1・投手の松本竜。
            即戦力が欲しいであろうヤクルトが、実績が皆無で将来性で人的補償を選ぶというのは考えにくいですが、「3年目のドラフト1位」ということを考えれば、球団の編成上、外せないのではないだろうか。


            結果、以下が私が独断と偏見で予想した巨人のプロテクトリスト。

            <投手15名>
            澤村、大竹、杉内、菅野、内海、高木京、宮国、田原、西村、松本竜、今村、山口、小山、江柄子、笠原
            <捕手2名>
            阿部、小林
            <内野5名>
            藤村、坂本、片岡、村田、中井
            <外野6名>
            長野、亀井、鈴木尚、高橋由、橋本、大田


            「あの選手がいない!」「なぜあの選手がプロテクト?」等の異論はあるでしょうが、あくまでも個人的な予想ですので悪しからず。

            第2回 岡田展和

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              本日はミスター敗戦処理こと岡田展和投手です。1992年〜1999年の8年間巨人に在籍、背番号は若い番号の13番をつけていました。1994年〜1998年の5年間は153試合に登板しているので、この5年間は1年平均でも30試合前後投げていたことになります。しかしながら、2014年に発売された巨人軍の80年史には岡田の事はどこにも紹介されていません。また、当時からの巨人ファンでもある私の友人は「岡田って誰??」と言います。1990年代は巨人戦が全試合テレビ放送されていた時代なのになぜ?

               

               

              岡田は敗戦処理の役回りが多かったため、試合が劣勢の状況、大敗の状況の中での登板することが大半でした。試合を諦めた巨人ファンはテレビのチャンネルを野球放送から変えてしまい、岡田が登板している頃には違う番組を見ており登板数の割に地味で印象が薄かったのではないかというのが私個人の見解です。

               

              岡田のプロ野球選手としてのキャリアのスタートは西武ライオンズでした。あの清原和博と同期入団で同じ高卒組だったこともあり親友関係にあったと言います。1990年にプロ初完封勝利を含む3勝を挙げますが、伸び悩んでいたこともあり1991年オフに松原靖とのトレードで巨人への移籍が決まります。

               

              すると斎藤雅樹にサイドスロー転向を命じたことでも知られる藤田監督から、さっそくサイドスローへの転向を指示されます。サイドスローが板についてきた移籍2年目の1993年、イースタンリーグで41試合に登板して17セーブ、防御率0.94の成績を残します。この好成績を手土産に翌1994年に一軍に定着。強気な投球が身上で、1994年の前半戦は不調の橋本清に代わって勝ち試合のセットアッパーを任されることも多く、この年は自己最多の41試合に登板、4年ぶりの勝利とプロ初セーブもマークします。

               

              岡田の最大の特性といえば、「10球程度の投球練習をすればOK」という肩の出来の早さにありました。そしてそんな岡田の特性を生かす日がやってきます。1994年7月1日のヤクルト戦(神宮球場)。先発はミスター完投こと斎藤雅樹。しかし斎藤は2人目の打者・荒井に投じたこの日6球目が頭部を直撃。この年に決められた危険球ルールにより一発退場となり、プレーボール早々にマウンドを降りることになります。完投が計算できる斎藤が先発の日の初回、当然ながら巨人ブルペンでは誰も準備していません。この緊急時にマウンドに上がったのが、肩の出来の早さに定評のあった岡田でした。

              しかし、岡田は代わりっぱなにいきなり広沢にホームランを浴びて初回に2点を失います。2回、3回も失点を重ねる毎回失点で試合を壊しかけます。「ふざけんなよ」と多くの巨人ファンが思ったことでしょう(私は思いました)。

               
               

              そして岡田のもう1つの特性は、当時の巨人の投手陣の中でも1、2を争う俊足の持ち主ということでした。普通に考えれば投手の足の速さが生かせるような場面というのはそうそうないのですが、1996年8月7日の阪神戦(東京ドーム)は1−1で延長12回までもつれ込みます。12回裏に先頭の杉山直樹がヒットで出塁すると、まだ野手がベンチに残っている状況の中で代走に指名されたのが、投手ながら俊足の持ち主でもある岡田でした。すると代走の岡田は村田真の犠打で二塁まで進み、最後は川相のタイムリーで岡田がサヨナラのホームを駆け抜けます。プロ15年間で岡田に唯一の得点が記録された瞬間でした。

               

              敗戦処理ながらも地味に巨人投手陣の中で地位を築いてきた岡田でしたが、1999年オフに巨人を自由契約になり横浜に移籍します。横浜の入団会見の際に巨人戦へのリベンジを宣言しますが、2000年はわずか8試合の登板の終わり、1年限りで横浜から戦力外通告を受けて引退します。

               

              冒頭にも書いた通り、敗戦処理の役回りが大半ながらも1994年から1998年の5年間は150試合以上に登板しており、第二次長嶋巨人を支えた一人だと思っています。選手の顔と名前を覚えるのが苦手な長嶋監督は、入来祐作と岡田の区別がつかず、入来に対して「岡田、調子はどうだ?」と間違って声をかけていたという事を後に入来が語っていました。



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