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    • 2017.01.17 Tuesday
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    第1回 高村良嘉

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      当ブログでは、巨人に在籍していたマイナーな選手をゆるく紹介していこうと思います。記念すべき第一回目は1995年〜1998年の4年間巨人プレーした高村良嘉選手です。


      在籍していた新日鉄光野球部の休部に伴い巨人の入団テストを受験。見事に合格し、1994年のドラフトで5位指名されて巨人に入団します。高村の最大の武器は50mを5秒6で走る足の速さでした。


      高村を紹介する前にまずは当時の巨人の時代背景振り返ってみると、1994年、巨人は開幕から首位を独走しながら、打撃陣の不振によりシーズン終盤に大失速。伝説となった10.8の名古屋決戦を制し辛くもリーグ優勝を果たし、日本シリーズでは西武を倒して5年ぶりの日本一にも輝きますが、長嶋監督はシーズン終盤の失速を反省し、シーズンオフに超大型補強を敢行します。

      打者はFAで広沢、ヤクルトを自由契約になったハウエル、現役ばりばりのメジャーリーグの4番・Sマックを獲得。投手はFAで川口、トレードで阿波野、ドラフトでは六大学癸嬰蠎蠅慮討嗅召高かった河原を獲得し、補強費用の総額は30億円以上とも言われました。


      大砲ぞろいの打線は「5点打線」と呼ばれ1995年の巨人の売りとなりますが、ふたを開けてみると自慢の5点打線はほとんど機能しません。打線が全くつながらず、淡白な試合運びが続き開幕から大きく出遅れた結果、夏場には優勝が絶望的な状況に陥ります。そんな時に白羽の矢が立ったのが足を武器とする新人の高村でした。苦肉なことに、自慢のはずの重量打線が機能しなかったことにより足を武器とする高村にもチャンスが巡ってきたのでした。


      8月に一軍に昇格し同29日から9月16日までの間、13試合連続で「2番セカンド」でスタメン出場。この間、徹底的に叩きつけるバッティングで内野安打を量産し、13試合中は45打数19安打、打率.422のハイアベレージを記録しますが、19安打のうち実に12本もが内野安打でした。叩き付けるバッティングから放たれるボテボテの内野ゴロの間に一塁ベースを走り抜け、間一髪のタイミングで勝ち取る内野安打は高村の代名詞ともなり、大砲ぞろいで全く繋がらない打線に嫌気がさしていた巨人ファンは彗星のごとく現れたスピードスターの活躍に大いに湧きました。東京ドームでは高村の内野安打を放つと、松井のホームランが出た時のように沸いたと言っても過言ではないくらいでした。


      高村がヒーローとなったのが9月7日の横浜戦。6−6で迎えた8回表、2アウトから横浜の盛田がピッチャーの西山を四球で歩かせ、マックのセカンドゴロをローズがエラー。2アウトながら相手からもらった一三塁のチャンスを作り、迎えるバッターは高村。
      すると、高村が叩きつけた打球はホームベース前で大きくバウンド。ピッチャー盛田がボールをグラブに収めた頃には高村は悠々と一塁ベースを駆け抜け、三塁ランナーの西山もホームイン。これが決勝のタイムリー内野安打となりました。


      しかしながら、いいことは続きません。連続スタメン13試合目の9月16日の広島戦(広島)でベースランニング中に足首を捻挫。そのまま戦線離脱し、以降シーズンの残りを棒に振ります。翌1996年は背番号が45から00に昇格しさらなる飛躍が期待され24試合にスタメン出場しますが、思うように自慢の足を生かせずに1年目の頃に見せたセンセーショナルな活躍は影を潜めてしまいます。

      その後左足の手術をしますが手術の結果も思わしくなかったようで、1998年のシーズン限りで戦力外となりひっそりと引退します。
      高村の輝きは、まさに1995年8月29日から9月16日の19日間に凝縮された一瞬のものだったということが言えるでしょう。「ケガなくレギュラーで試合に出場し続けるのは難しい」ということをファンも改めて知らされたのでした。

      俊足の割に盗塁があまりうまくありませんでしたが、単純に走るだけであれば鈴木尚広よりも速かったのではないかと思います。

       

      夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生Α

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        前回からだいぶ時間が空いてしまったが、馬場正平の野球人生に迫るシリーズ。5年目の1959年。プロ野球選手としては最後の年。Wikipediaによるとこの年は「3度目の二軍最優秀投手となりながら、シーズンオフに巨人を解雇された」となっている。


        実は1959年については二軍監督の武宮敏明が記したかなり詳しい記録が残っている。
        1959年の巨人二軍は48試合を戦い、19勝24敗5引分。例年に比べて試合数が少なめなのが分かる。

        馬場のシーズン初勝利は毎年恒例の北海道・東北シリーズ中の8月16日の国鉄戦。最後は国鉄の猛攻に合うも辛くも逃げ切った。3日後の湯本市営球場での国鉄戦でも勝利。同シリーズでは19試合中、7試合に登板(先発5試合)。2勝2敗、防御率3.54。
        後に投手コーチもつとめた中村稔が5勝を挙げるが、2勝はそれに続くチーム2位。

        しかし、馬場が1959年に挙げた勝ち星はこの2つのみ。シーズンの成績は以下の通り

        1959年成績
        14試合2勝4敗 45回 奪三振21 四死球29 自責点30 防御率6.00


        長身の投手と対戦する打者は、「目線が上に行ってしまいがちで特に速球は打ちにくい」と言われるのが一般的だが、投球回の割に奪三振数が少ないことから球速はあまりなかったのではないだろうぁ。また、四死球は29でコントロールも良かったとは言い難いようだ。

        このシーズンをもって、馬場は巨人を整理されユニフォームを脱いでいる。
        この際、馬場が残したコメントを紹介しよう

        「悔いある一年だった。というのは自分のための練習が思うように出来なかったからだ。一軍の練習を手伝うことはかまわないが、一軍の練習が終わったあとでももっともっと練習したかった。それに捕手不足は痛かった。
        泣き言を言えばきりがないが、僕はキャンプからオープン戦当時、非常に調子が良かったのに一度も使ってもらえなかったのは、何といっても僕にとっては悲しいことであった。」

        整理されたことに非常に落胆していた様子が伝わってくる。
        Wikipedeiaでは3度目の最優秀投手になりながらオフに巨人を解雇されたことになっているが、5年目ということと二軍での成績を考えれば、致し方のない事だったのではないだろうか。


        調査の結果、馬場正平のプロ野球人生の5年間で最も活躍したのは1958年だったと言えよう。また、Wikipediaに記載されている内容にもかなりの間違いがあるということが分かった。
        この後、馬場はプロレスラーに転身し残した功績はいまさら言うまでもない。


        8月16日 山形市営
        国鉄 000 000 013…4
        巨人 310 000 10X…5
        勝・馬場

        8月19日 湯本市営
        国鉄 010 000 000…1
        巨人 200 101 10X…5
        勝・馬場

        8月21日 秋田県手形
        巨人 000 001 000…1
        阪神 000 020 00X…2
        敗・馬場


        〜夏休みの自由研究・完〜

        夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生ァ

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          馬場正平の野球人生に迫るシリーズ。今回は4年目の1958年。
          毎度おなじみのWikipediaによれば、あまり活躍できなかった年だ。
          週刊ジャイアンツによれば、1958年の巨人二軍は72試合で44勝19敗6引分。
          このうち野球誌、新聞紙面から56試合が判明し33勝16敗7引分。引分の数が合わないので、週刊ジャイアンツの情報もちょっと疑わしいのだが・・・。


          圧巻だったのは8月15日から9月7日までの信越遠征。全13試合中、7試合に登板。5勝0敗で28回を投げて防御率1.89の好成績を収めている。

          通算では18試合に登板して7勝2敗。ただし、勝利投手・敗戦投手が不明なのが各1試合ずつあるため8勝3敗かもしれない。野球誌、新聞紙面で確認できていない勝ち試合があと11試合あるはずなので、勝利数はさらに上積みされている可能性もあり。
          Wikipediaの「あまり活躍できなかった」というのは誤りで、プロ4年目で自己最高のシーズンだったと思われる。


          グラウンドのどこにいても目立つ馬場は、遠征に出れば一番の人気者。ブルペンで投球練習をするだけで球場が沸いた。そんなこともあり、千葉二軍監督は見どころのない大敗試合になってしまった際は観客を喜ばせるためにしばし馬場を登板させた。
          馬場正平
          集合写真でも、ほかの選手よりも頭一つ出ていることが分かる。


          3月4日 西宮
          巨人 000 402 010…7
          阪急 000 004 40X…8
          中村、馬場−加藤
          ※敗戦投手不明

          3月9日 姫路
          巨人 031 010 440…13
          南海 000 000 100…1
          ○馬場−加藤

          6月14日 新潟白山
          巨人 100 100 000…2
          国鉄 110 010 01X…4
          ●馬場、中村−島田

          6月15日 新潟白山
          巨人 011 000 000 00…2
          国鉄 100 000 100 00…2
          寺口、添島、馬場、中村−島田

          7月6日 盛岡
          巨人 030 012 001…7
          国鉄 000 004 002…6
          馬場、○土岐−加藤

          7月10日 名寄市営
          大洋 420 000 000…6
          巨人 000 000 140…5
          ●添島、馬場−加藤

          7月10日 名寄市営
          国鉄 000 000 000…0
          巨人 000 323 11X…10
          ○土岐、後藤、馬場−加藤

          7月14日 三菱美唄
          巨人 005 030 011…10
          国鉄 110 020 000…4
          ○馬場、吉井−加藤

          7月17日 弘前
          巨人 010 000 030…4
          大洋 230 012 18A…17
          ●後藤、吉井、馬場−山崎、島田

          7月20日 仙台
          国鉄 000 000 100…1
          巨人 000 000 010…1
          馬場−島田

          8月16日 野沢北高校グランド
          国鉄 211 101 001…7
          巨人 303 000 011A…8
          土岐、○馬場−島田

          8月16日 野沢北高校グランド
          国鉄 020 410 421…14
          巨人 010 003 000…4
          ●吉井、馬場、木戸、山田−島田

          8月17日 中野市営
          国鉄 000 000 000…0
          巨人 100 000 00A…1
          ○吉井、馬場−加藤

          8月21日 佐渡河原浜田
          阪神 010 100 030…5
          巨人 111 205 10A…11
          吉井、○馬場−加藤

          8月25日 柏崎
          巨人 002 010 002…5
          阪神 000 013 000…4
          吉井、○馬場−加藤

          8月25日 柏崎
          巨人 032 000 003…8
          阪神 000 000 000…0
          ○馬場−加藤

          9月7日 長岡
          巨人 300 003 300…9
          国鉄 001 000 020…3
          ○馬場−加藤

          9月14日 浅見
          国鉄 010 000 001…2
          巨人 231 100 02X…9
          添島、馬場−島田
          ※勝利投手不明


          1958年成績
          18試合7勝2敗

          夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生ぁ

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            馬場正平の野球人生に迫るシリーズ。今回は3年目の1957年。
            wikipediaを信じるならば、13勝2敗と大活躍をしていたシーズンだ。
            新聞や野球誌で確認できた1957年の巨人二軍の試合は全41試合。おそらく、これにプラス20〜30試合前後の試合があったものと思われる。


            この年の5月11日に大洋多摩川球場がグランド開きをするが、馬場はこの試合で先発を任され、5回を投げて被安打1、無失点と好投した。また、6月29日の国鉄戦(巨人軍多摩川)では完封勝ちしている。


            1950年代、巨人二軍は例年6月から7月にかけて東北・北海道への長期遠征を実施していた。この当時は一軍と二軍の壁が厚く、二軍選手が一軍に上がるにはこの東北・北海道の遠征の成績が重要視された。そのため巨人の二軍選手は、この遠征中は他球団の選手に比べて力の入れ具合が違ったと言われている。巨人は6月29日の青森を皮切りに7月21日までの23日間で22試合を戦い、14勝8敗だった。


            馬場は東北・北海道遠征中は7試合に登板。チーム最多の3勝を挙げた。
            1957年は判明している限りでチームは41試合戦い、馬場は12試合に登板。4勝2敗だった。
            判明している41試合にプラス20〜30くらいの試合があったと考えられるが、それを加味してもwikipediaに出ているように13勝というのは無理があるだろう。よって、「馬場が頭角を現し始めた年だった」ということになろう。

            なお、遠征で3勝を挙げた活躍が認められて8月後半には一軍昇格を果たし、同月25日の阪神戦でプロ入り初登板。この際に165僂竜氾諜礎砲箸凌板杭40僂梁仞錣箸いΔ海箸馬誕蠅箸覆辰拭


            4月16日 巨人軍多摩川
            東映 000 220 000…4
            巨人 001 000 000…1
            ●馬場

            5月11日 大洋多摩川
            巨人 100 000 000…1
            大洋 000 000 001…1
            馬場、土岐−竹下、棟居

            5月19日 小山市営
            国鉄 000 030 000…3
            巨人 000 020 000…2
            ●寺口、馬場−山崎、棟居

            6月1日 巨人軍多摩川
            国鉄 000 000 000…0
            巨人 100 101 01X…4
            ○馬場−竹下

            6月29日 青森市営
            巨人 000 013 200…6
            国鉄 010 110 001…4
            ○馬場−竹下

            7月4日 秋田手形
            巨人 021 001 000…4
            国鉄 000 010 000…1
            ○馬場−竹下

            7月9日 名寄市営
            国鉄 000 011 200…4
            巨人 200 000 30X…5
            ○馬場、添島−竹下

            7月13日 釧路市営
            大洋 000 000 000…0
            巨人 100 001 20X…3
            ○添島、馬場−竹下

            7月14日 帯広市営
            巨人 002 000 000…2
            国鉄 004 000 000…4
            ●寺口、馬場−山崎

            7月16日 小樽桜ヶ丘
            国鉄 000 031 141…10
            巨人 000 100 500…6
            土岐、山田、●馬場、添島−島田
            本:島田、平井

            7月21日 米沢市営
            巨人 000 000 002…2
            大洋 100 400 12X…8
            ●黒田、馬場−竹下

            8月3日 厚木駐留軍グランド
            巨人 020 002 030 0…3
            厚木 301 020 010 0…3
            添島、馬場、寺口、高橋−棟居、竹下


            1957年の成績
            12試合4勝2敗

            夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生〜

            0
              馬場正平の野球人生に迫るシリーズ。今回は2年目の1956年。

              既に紹介の通りこの年から1960年までイースタンリーグは休止され、関東側にフランチャイズを置く球団の二軍は練習試合でお茶を濁しあった。巨人は1年間でおおよそ40試合〜70試合程度の練習試合を組み、練習試合の記録をトータルしてチーム内で独自にタイトルを決めて表彰をしていた。
              Wikipediaを信じるなら、この年、馬場は12勝1敗で最優秀投手賞を受賞するほどの大活躍をしていることになる。


              しかしながらこの時代の二軍の情報はスポーツ新聞でさえもほとんど取り扱わず、さらに言うならば、たかだか二軍の練習試合ごときを取り扱ってくれるはずもなく、系列の読売新聞と報知新聞のみが巨人二軍の練習試合の結果をわずかに掲載していた程度である。それも全試合の結果を掲載しているわけではないので、完全な記録を調べるのはまず不可能であろう。
              とは言え頼りになるのは読売新聞と報知新聞のみなので、可能な範囲で二紙を調べた結果をこれから記していく。


              新聞で確認できた1956年の巨人二軍の試合数は全33。おそらくこの倍くらいの試合をしていたのではないかと思われるので、確認できているのは半数程度だろう。

              4月21日からの2日間、前年までイースタンリーグに参加していた球団を対象としたトーナメント戦・川崎市長杯が開催されるが、なぜか巨人はこれに参加していない。巨人の最初の試合は5月2日の大洋戦。しかしこれが雨で流れ、以降予定されていた試合も雨で流れ続ける。6月16日、17日に開催された「巨人軍多摩川グラウンド開場1年記念トーナメント大会」が新聞で確認できた巨人二軍の1956年初試合だ。

              馬場は6月17日の大洋戦に1点ビハインドの場面で登板し、9回裏に味方がサヨナラ勝ちしたため幸運な勝ち星が転がり込んできた。確信は持てないが、ひょっとしたらこれがプロ入り初勝利かも?しれない。
              新聞で確認できた33試合中、馬場が登板したのは7試合で成績は2勝1敗。
              Wikipediaを信じるならばあと10勝していることになるが、判明している33試合のうち登板は7試合で、先発に限ればわずか2試合ということから判断すると、あと10勝もしているということは考えにくい。よって、1956年は「二軍でも頭角を現す前だった」と結論づけられるのではないだろうか。


              6月16日 巨人軍多摩川
              大映 101 120 100…6
              巨人 000 000 010…1
              土岐、守、馬場−加藤

              6月17日 巨人軍多摩川
              大洋 100 000 010…2
              巨人 100 000 002A…3
              添島、山田、○馬場−加藤

              6月28日 会津若松
              巨人 000 000 004…4
              国鉄 000 000 100…1
              松下、○馬場−島田

              7月3日 大舘
              巨人 000 102 400…7
              中日 060 001 001X…8
              馬場、国松、添島−加藤

              8月29日 大曲
              国鉄 000 000 100…1
              巨人 310 000 00X…4
              国松、馬場−加藤

              9月5日 巨人軍多摩川
              毎日 000 010 000 000…1
              巨人 100 000 000 000…1
              高橋、馬場、松下、添島−加藤

              9月16日 小山
              国鉄 105 200 000…8
              巨人 103 000 030…7
              ●馬場、山田、土岐−棟居

              1956年の成績
              7試合2勝1敗


              PR

              calendar

              S M T W T F S
                   12
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