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    • 2017.01.17 Tuesday
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    夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生◆

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      馬場正平の野球人生に迫るシリーズの2回目。今回は入団1年目の1955年。


      馬場が入団した1955年は実に19人もの新人選手が入団している。この頃、主力選手の川上、千葉、別所、中尾は30歳を超えて既に全盛期は過ぎており、世代交代を推し進めたかったという球団の思惑があっての大量新人の獲得だったのだろう。19人の中には、後に正捕手となるV9にも貢献する森昌彦、ONの後の5番を打った国松彰、初代三軍監督をつとめた木戸美
      摸らがいた。



      身長が2mを超える馬場はそれだけで話題性十分で、馬場入団は当時の新聞記事でも比較的大きく報じられている。

      馬場正平



      以下、馬場のルーキーイヤーの登板時の結果である。



      6月22日 川崎 イースタンリーグ18
      巨人 000 101 010…3
      大洋 010 010 000…2
      馬場、○西田−森



      7月17日 土浦市営 新日本リーグ9
      大洋 000 001 000…1
      巨人 010 020 02A…5
      ○東口、馬場−山崎



      プロ初登板はイースタンリーグ公式戦18戦目の大洋戦。同じく新人の森とバッテリーを組むが、結果は4回2/3を投げて被安打4、奪三振1、四球1、自責点2で勝ち負けはつかなかった。報知新聞では「長身から投げ下ろす球にはさしてスピードがなく、武器のアウドロも有効ではなかった」と寸評されている。その結果が長身の投手特有の角度のある球をうまく生かせず、打者18人でわずかに奪三振が1つという結果だったのだろう。


      2度目の登板は新日本リーグ公式戦第9戦目の大洋戦。2点リードの8回表から東口をリリーフ。いきなりランナーを二塁に背負い被安打を浴びるが、外野手からの好返球でこのかいを無得点でしのぎ、9回までの2イニングを投げ切った。今であればセーブが記録されることになる。


      1年目は、イースタンリーグ、新日本リーグでそれぞれ1試合ずつに登板。トータルで2試合。

      1955年の成績
      2試合0勝0敗 6.2回 自責点2 防御率2.57

      夏休みの自由研究〜馬場正平の野球人生 

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        前々から気になっていたことがある。それは、プロレスラー・ジャイアント馬場の野球選手時代のことだ。
        プロレスラーとして残した数々の栄光はいまさら言うまでもないが、野球選手時代に残した足跡はあまり知られていない。

        1955年 巨人に入団
        1957年 3試合に登板。0勝1敗 防御率1.29
        1959年 巨人を退団


        在籍5年。実働1年。公式戦登板はわずか3試合。これが野球選手・馬場正平が残した全記録である。
        しかしWikipediaによれば、「二軍で1956年が12勝1敗、1957年は13勝2敗で2年連続二軍の最優秀投手賞を受賞。1958年は目立った活躍はできなかったが、1959年に3度目の二軍最優秀投手賞を受賞」と記されており、二軍ではエース格だったとのことだ。

        ここで整理をしておくと、馬場が巨人に入団した1955年は、セリーグ6球団の二軍による新日本リーグ、関東側にフランチャイズを置く7球団の二軍によるイースタンリーグ、関西側にフランチャイズを置く7球団の二軍によるウエスタンリーグの3つの公式なファームリーグ存在し、巨人の二軍は新日本リーグとイースタンリーグに参加していた。
        しかしながら新日本リーグは1955年限りで消滅し、イースタンリーグは1955年の1年限りで活動休止となり、1956年から巨人二軍は公式のファームリーグには参加していない。これは、1956年以降の馬場の二軍の公式記録は存在しないということを意味している。

        調べたところ、1956年にファームリーグが休止されて以降、巨人二軍は年間40〜70試合程度の練習試合をこなしており、この練習試合の結果をトータルして球団独自でタイトルホルダーを決めていた。すなわち、馬場はファームリーグが行われていない期間に行われていた二軍の練習試合で勝ちまくり、球団内で独自のタイトルフォルダーになっていたということになる。


        ここで一つの疑問が湧き上がってきた。Wikipediaに掲載されている記録を裏付けることは可能なのか?というか、そもそもこの情報は正しいのか?誰か検証しているのか?この記録の信ぴょう性を確かめる方法はないものか。そこで、夏休みの期間を利用して手持ちの資料を精査し、馬場正平の野球人生を追ってみることにした。いわば勝手な夏休みの自由研究だ。数回のシリーズで、馬場正平が残してきた野球人としての記録を追って行こうと思う。


         



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