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    • 2017.01.17 Tuesday
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    史上最強の代打男は元祖二軍の帝王だった

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      NPBの代打本塁打記録1位は高井保弘の26本。2位の大島康徳と町田公二郎が20本なので断トツの1位だ。
      高井が放った生涯130本の本塁打については、たばともさんが「高井保弘、全本塁打一覧」で紹介されている。


      高井は3年目の1966年あたりから二軍で頭角を現す。二軍では2年連続で打率3割を大きく超えている。
      1968年、1970年には二軍で本塁打王、打点王の二冠を獲得。
      しかし、一軍定着には不得意の守備がネックとなる。外野手としてはズンドコで、一塁にはスペンサーがいた。そのため一軍に上がっても出番は代打に限定された。1971年までに一軍で6本塁打を放つが、4本が代打としてだった。


      この間、二軍ではとにかく打ちまくった。この頃、ウエスタンリーグは1967年までは年間48試合、1968年以降は年間60試合と今よりもはるかに少ない試合数だったが、高井は二軍通算で71本もの本塁打を打っている。


      1974年は1シーズンで代打本塁打6本。
      「代打男の高井が1試合4打席立ったら、年間で相当打つのではないか」こんな論調に後押しされて、パリーグは1975年から指名打者制度を導入したと言われている。


      1972年以降は一軍に定着したため二軍での試合出場の機会はほとんどなかったが、試合数が少なく、試合球が一軍の試合で使わなくなった球のお古で今よりもはるかに球が飛ばなかったということを考えれば、高井の二軍通算360試合で71本塁打というのはすごい記録だと思う。


      一軍、二軍を合計したNPB通算本塁打数は201本だった。


       

      不運のドラ1、谷口功一

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        イチローが鈴木一朗だった頃の1992年。鈴木一朗は新人ながらウエスタンリーグで首位打者のタイトルを獲得し、二軍の新人王にあたるビッグ・ホープ賞を受賞しているが、イースタンリーグでビッグ・ホープ賞を受賞した選手こそが、イチローと同じ1991年入団組の巨人のドラフト1位・谷口功一だった。イチローの事を書いたら、谷口の事も書かずにはいられない。


        谷口は若田部健一のハズレ指名ながら、当時は野球ファンだけではなく世間からも注目される栄光の巨人軍のドラフト1位。190僂鯆兇┐訥洪箸如▲好肇譟璽箸裡唯腺悗錬隠苅献ロ。誰もがその将来を嘱望した。高卒の投手だったこともあり1年目の1992年は主に体力強化の期間に充て、イースタンリーグで14試合に登板して4勝2セーブ防御率3.24だった。


        1年目の1992年オフにミスタープロ野球・長嶋茂雄が監督に復帰。空前の長嶋フィーバーが巻き起こったが、その長嶋の口から期待の若手として度々名前が挙がったのが谷口だった。

        長嶋の監督復帰後初の対外試合となった1992年10月30日の全米戦(日米野球)では、タイガースのフィルダーにホームランを浴びるが、全米のトム・ケリー監督から印象に残った巨人の選手として谷口の名前が挙げられている。リップサービスもあるだろうが、谷口はメジャーの監督からも一目置かれる注目株だったのだ。


        1993年、春季キャンプで一軍に抜擢されると、一軍の投手10人枠を巡ってオープン戦の最後まで一軍に帯同し続けた。しかし首脳陣の谷口の評価は投手の中では11番目から12番目。「一軍で敗戦処理で起用するよりも、将来のローテーション投手としてファームで先発の経験をさせたい」との判断から、最後の最後で二軍スタートが決まった。


        開幕こそ一軍からは漏れたが、谷口に対する首脳陣の期待の大きさが変わることはなく、「一軍の空気に触れさせながら技術や精神面を学ばせるため」に、一軍が関東にいる時は一軍の練習に参加させ、一軍が遠征時に二軍戦で登板させる通常の育成方法とは異なる特別な英才教育を施す方針が決まった。この特異な調整方法はプロの世界で何の実績もない2年目の若手選手には難しいことであったろうというのは想像に難くない。


        しかし、チャンスはすぐに訪れた。5月8日のヤクルト戦で先発の槙原が3回4失点でKO。槙原は開幕から5試合勝ちがなく、試合後に気分転換を兼ねて二軍行きが命じられた。槙原に代わって一軍に呼ばれたのが谷口だった。


        谷口は一軍登録された当日の5月9日のヤクルト戦(神宮)でさっそくプロ初登板。8回裏、5点リードされた場面のいわゆる敗戦処理。
        「一軍で敗戦処理をさせるくらいなら二軍で経験を積ませる」こんな理由で開幕一軍入りさせなかったのに、先発投手の槙原に代わって一軍に上がってきていきなり敗戦処理で登板させるところに、巨人首脳陣が掲げる育成方針の一貫性のなさと矛盾を感じずにいられないが・・・


        プロ初登板で谷口は池山にホームランを浴びるなど2失点と精細を欠いた。期待をしていたファンの失望も大きかったが、実はこの結果には致し方ない面もあった。
        なぜなら谷口は、前日の5月8日の二軍戦に先発して6イニングを投げていた。球数は不明だが、6イニングを投げているのでおそらく100球近くを投げていただろう。二軍で先発した翌日に一軍に昇格し、中0日でいきなり登板を命じられたのだ。いくら若いと言っても、さすがにこの起用には無理があったと思う。

        谷口は結局一軍で3試合、4イニングを投げて4失点ですぐに二軍にUターンした。この無理な登板が祟ってか、間もなく谷口は肩を痛めてしまう。それでも、二軍では中3日での先発を2度も経験している。


        1993年の谷口の全登板(赤枠は一軍)


        肩を痛めてからはフォームを崩してしまい、二軍戦でも度々打ち込まれている。
        翌1994年以降は、就任当時は熱心だった長嶋監督からもすっかり飽きられてしまい、かつてのドラ1は完全に忘れ去られた存在となってしまった。

        その後、1997年に柏田貴史とともにメッツの春季キャンプに参加するが、柏田がそのままメッツに入団しメジャーリーガーになったのに対して、谷口は寂しく帰国。さらに同年オフには巨人を戦力外となり退団した。


        巨人を戦力外後に西武、近鉄、アメリカの独立リーグでも投げたが鳴かず飛ばずだった。
        入団当時は期待の大型右腕だったが、期待されたがゆえに施された英才教育、一軍昇格後の支離滅裂な登板でその後の野球人生が狂ってしまったのではないかと思わずにはいられない。素材はピカ一だっただけに、「育成が下手な巨人」を露呈する結果となってしまった。


        谷口の巨人時代の二軍成績

         

        名わき役だった中井康之

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          今日8月9日は、1980年代初期に活躍した元巨人・中井康之の一周忌の日。


          中井は1972年ドラフト1位で巨人に入団。入団時は投手だった。
          1年目の1973年は二軍でも登板なし。翌1974年5月11日に二軍戦初登板。


          1976年は二軍で2完投しているがいずれも完封。ようやく投手として頭角を現し始めたかに思われた。しかし肩の故障もあって1977年の夏場に外野手にコンバート。投手としては一軍で登板機会はなく、二軍では通算9勝9敗だった。


          中井康之の二軍投手成績
          nakai1


          野手にコンバートされた1977年はイースタンリーグで、一塁手で4試合、外野手として3試合に出場している。
          実質的な野手1年目の1978年、いきなり二軍で首位打者、打点王のタイトルを獲得。さらに20盗塁を記録し、足でもアピールした。


          中井康之の二軍打撃成績
          中井康之


          翌1979年に7年目にして初めて一軍に昇格し、守備・走塁要員として重宝されて一軍に定着。しかしレギュラーの壁は厚く、その後も控えに甘んじた。


          同時期に在籍していた中井と同タイプの外野手の庄司智久も巨人では守備代走要員にすぎなかったが、ロッテに移籍後にレギュラーに定着している。中井も他球団に移籍していればチャンスはあったかもしれない。ドラフト1位だったことが邪魔して他球団に出してもらえなかったのではないだろうか。


          1984年に現役を引退。引退後は飲食店を経営していたことはよく知られているが、当時の月刊ジャイアンツの記事には飲食店とともに麻雀荘を経営することも紹介されていた。



          ウエスタンリーグのワースト記録更新

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            前回の記事でイースタンリーグにおける1試合の自責点ワースト記録に関して書いたところ、偶然にも昨日8月5日に行われたウエスタンリーグのソフトバンク対広島戦で、広島先発の今井啓介が自責点16を喫し、ウエスタンリーグにおける1試合の自責点ワースト記録を更新した。


            スコア


            一軍でも投げている今井がこの記録を作ったことに驚いたが、今井がワースト記録を更新する前までの不名誉な記録の保持者は、近鉄・前川勝彦だった。
            前川は2003年7月21日、阪神戦(藤井寺球場)に先発した。5回までは3失点と試合を作ったが、6回に5失点、7回に6失点。8回を投げて阪神打線に被安打17を浴び、最終的には15失点(15自責点)と炎上した。なお、この試合ではカツノリ一人に4安打を打たれている。

            前川は2000年に一軍のオリックス戦で10失点(自責点は5)完投したことがある。すなわち、一軍でも二軍でも先発して10失点していることになる。


            2003年7月21日 藤井寺球場
            阪神 020 105 610 = 15
            近鉄 020 200 010 =  5


            そして、1試合で自責点14の投手は2人いる。
            2002年5月22日。サーパス神戸対近鉄戦(北神戸)で、サーパス先発の山本は、3回に近鉄打線に捕まり一挙11点を献上。この回でマウンドを降りるが、3回を投げて自責点は14だった。


            もう一人は中日の奥田和夫。1974年8月23日の近鉄戦(中日)に先発。奥田は2回、6回、7回を除いて毎回失点。8回までは9失点だったが、9回に打者一巡の猛攻を受けて6点を失う。結局奥田は9回を最後まで投げ切るが、打者50人に対して被安打20の15失点。自責点は14だった。二軍とは言え1試合で15失点しながら完投するような投手は、今後二度と現れないのではないか。


            1974年8月23日 中日球場
            近鉄 302 110 026 = 15
            中日 000 003 001 =  4


             

            1試合で18失点した投手

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              1970年にドラフト6位で東映フライヤーズに入団した日高晶彦。
              一年目の1971年5月18日に登板したイースタンリーグの巨人戦である記録を作っている。


              日高の初登板は4月18日のイースタンリーグ開幕のロッテ戦。この試合は二番手で登板、一回を投げて4失点だった。
              3試合目の登板が暴投の5月18日の巨人戦だったが、自身にとって初先発のマウンド。

              初回こそ日高は巨人打線を無失点に抑えたが、二回に1失点、三回に3失点、四回に7失点。四回を投げ終わった時点で11失点と炎上した。それでも東映の杉山二軍監督はなおも日高を続投させた。


              しかし、日高は立ち直ることができずに五回にも1失点、六回は1死しか取れずに6失点。巨人打線相手に18安打のつるべ打ちにあい、失点18、自責点16と大炎上した。これは二軍における1試合の最多失点、最多自責点の不名誉な記録として今もなお残る。


              1971年5月18日 茅ヶ崎市営
              東映 000 000 000 = 1
              巨人 013 716 30X = 21
              ○松原−杉山
              ●日高、塩谷−荒船

                  回数 安打 三振 四球 失点 自責  
              日高  5.1  18  4  4  18  16

               


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