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    • 2017.01.17 Tuesday
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    第1回ジュニア日本選手権

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      イースタンリーグとウエスタンリーグの対抗形式のオールスターが始まったのは1963年だが(1966年は各球団の選手不足により開催見送り)、イースタンリーグの優勝チームとウエスタンリーグの優勝チーム同士のいわゆる日本シリーズが行われたのは14年後の1987年から。


      1987年のイースタンリーグの優勝チームは巨人。ウエスタンリーグの優勝チームは中日。ファーム日本シリーズは「ジュニア日本選手権」と命名され、両チームは9月14日に平塚球場でファーム日本一をかけて対戦した。


      1987年9月14日 平塚球場 6時開始 観衆1万6千
      中日二軍 000 000 000 = 0
      巨人二軍 100 006 11X = 9
      ▽本塁打:佐藤洋(巨)
      ▽二塁打:岡本圭、栄村、高田、藤本健、加茂川、山本幸(巨)
      ▽バッテリー
      (中)●斉藤、浜田、山本昌、白次−金田、長谷部
      (巨)○加茂川−高田


      巨人は一回表にベテランの岡本圭の二塁打で先制。先発の加茂川も序盤から飛ばした。中日打線にチャンスらしいチャンスを与えずにスコアボードに0を並べると、巨人打線は六回裏に一挙6得点の猛攻で試合を決めた。六回途中から中日の3番手でマウンドに上がったのは、今なお現役を続ける山本昌。しかし、山本は七回裏に佐藤洋にダメ押しの本塁打を浴びるなど、1回1/3、19球を投げて被安打3、自責点1と精彩を欠いた。当時は誰もその後の活躍を予測していなかっただろう。


      加茂川は139球の熱投で中日打線を散発6安打に抑えて完封勝利。巨人が初代ファーム日本一に輝いた。最高殊勲選手賞は完封勝利の加茂川、優秀選手賞は本塁打を放った佐藤洋、3安打猛打賞の栄村忠広、2安打1打点2盗塁の藤本健治が受賞した。しかし、この試合で活躍した4選手は、その後の野球人生で大成することはなかった。中日はこの年限りで現役を引退する36歳の藤波行雄が代打で出場している。


       

      60年前に開催された二軍のオールスター

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        倉敷で行われる予定だった今年のフレッシュ・オールスターは台風のため中止された。二軍のオールスターが中止されたのは初めてのことになる。


        二軍のオールスターは1963年に始まった。当時の呼び名はジュニア・オールスター。
        元々は前年の1962年に二軍オールスターの開催が計画されていた。どちらかというとウエスタンリーグを管轄するパリーグ側が熱心に動いたが、最終的にはウエスタンリーグが希望する開催時期とイースタンリーグ側が主張する開催時期の意見が食い違い、最後まで溝が埋まらずに物別れに終わり1962年は開催されなかった。

        1年後の1963年に満を持してジュニア・オールスターが始まったのだ。
        しかし、実は1963年に開催されたジュニア・オールスターが初の二軍オールスターではない。


        イースタンリーグとウエスタンリーグが始まったのは1955年。この年は現在のようなイースタンリーグ対ウエスタンリーグではなく、イースタンリーグ内でのみでオールスターが開催された。イースタンリーグに参加する7球団をセ・リーグとパ・リーグに分け、全セ対全パの対抗試合のような方式をとし、報知新聞社・スポーツニッポン新聞社の協賛により9月18に開催されることになった。ちなみにウエスタンリーグではオールスターは開催されていない。


        イースタンリーグ・オールスターを開催するにあたり球場選定には難航した。というのも、前年の1954年にセリーグ二軍による新日本リーグが後楽園球場で行われたが、球の行方を見ずに球場のスタンド内で遊ぶ子供に打球が直撃し死亡事故となった。以来、後楽園球場は二軍戦の開催を断るようになった。後楽園球場が使えないということで試合は駒沢球場で開催された。


        駒沢球場は収容人員が2万人だったが、報知・スポニチの両新聞社は5万枚の招待券を配布した。招待券大量ばらまきの効果もあり、普段は閑古鳥の鳴く首都圏開催の二軍戦でありながらも当日は6,000人の観客が訪れた。試合に先立ち、1955年のイースタンリーグの優勝チーム・毎日の表彰式があり、徳永イースタンリーグ幹事長より小田喜美雄主将に優勝杯、首位打者、本塁打王、最多勝のタイトルホルダーの3選手にはそれぞれ記念品が贈られた。


        1955年9月18日 駒沢球場 午後3時15分開始
        全セ 000 000 100|1
        全パ 000 000 000|0

         
        勝 深沢 1勝0敗
        敗 大庭 0勝1敗
        ▽本塁打 なし
        ▽勝利打点 深沢 ▽試合時間 1時間50分

        【セ・リーグ】                              【パ・リーグ】
                 打 安 点                  打 安 点
        (4)佐々木(国鉄) 3-1-1          (9) 英 (東映) 4-2-0
        4  工 藤(巨人) 0-0-0                    (8)水 野(毎日) 4-1-0
        (7)小 寺(巨人) 2-0-0          (2) 佃 (東映) 4-1-0
        79 坂 内(大洋) 2-0-0                  (8)水 野(毎日) 4-1-0
        (2) 森 (巨人) 4-0-0                  (7)橋 本(毎日) 4-0-0
        2 山 崎(巨人) 0-0-0                  (4)飯 山(毎日) 3-0-0
        (5)土 屋(巨人) 4-1-0                  (5)丸 山(大映) 3-0-0
        (8)林 田(国鉄) 4-0-0                  (3)大 村(毎日) 2-0-0
        (3)井 上(巨人) 4-1-0                  3 高 木(東映) 1-0-0
        (9)初 岡(国鉄) 3-2-0                  (6)喜 吉(大映) 3-0-0
        7 河 野(国鉄) 1-0-0                  (1)藪 崎(毎日) 1-1-0
        (6) 南 (国鉄) 2-0-0          1 大 庭(トンボ) 1-0-0
        (1)関 口(大洋) 1-0-0                  H 斎 田(東映) 1-0-0
        1 深 沢(国鉄) 0-0-1                                合計 31-5-0
        1 三 浦(巨人) 0-0-0
              合計 30-5-1

         
        ▽三塁打:セ1、井上 ▽二塁打:セ1、初岡 ▽盗塁:セ1、佐々木



        試合には翌1956年に大映に移籍し29勝を挙げてブレークする巨人の三浦方義や、同じく巨人から後にV9時代の正捕手として長らく活躍する森昌彦が出場している。


        五回まで両軍譲らず0対0で展開するが、6回表二死から全セの井上(巨)のセンター前の当たりがイレギュラーバウンドして中堅手の水野が後免。その間に井上は一挙に本塁まで走ったが、後免した井上からの好返球によりタッチアウト。惜しくもランニングホームランはならなかった(記録は三塁打と本塁への走塁死)。


        全セは続く7回表にも今度は一死三塁のチャンスを作り、今度は投手の深沢(国)のスクイズにより1点を先取。全パは最終回に一死一・二塁のチャンスを作ったが、三浦(巨)が後続を抑えて1対0で全セが逃げ切った。

         

        谷佳知、2000本安打達成

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          オリックスの谷佳知は通算2000本安打まであと77本として今シーズンを迎えたが、今日まで一軍出場は2試合のみで残り77本から足踏み状態が続いている。しかし、実は7月11日のウエスタンリーグの阪神戦で、一軍二軍合計2000本安打を達成している。


          7月10日に行われたウエスタンリーグの阪神戦で谷は2安打を記録。この試合が終わった時点積み上げた谷の安打数は、一軍で1923本、二軍で76本。合計すると1999本。


          一軍、二軍合計2000本安打まで残り1本で迎えた7月11日。阪神の先発は2年目左腕の山本翔也。谷は「三番指名打者」でスタメン出場。すると、初回の第一打席でいきなりレフト前へのヒットを放った。谷にとって、このヒットが一軍二軍合計2000本安打となった。


          と、おそらく谷本人はこのヒットが一軍、二軍通算2000本安打だったということは知らなかっただろうが。



           

          二軍の出来事を見える化

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            広尾晃さんが変わりゆくドラフトの歴史を表にしたのに触発されて、同じように二軍の出来事を表にして見える化してみた。
            とてつもなく長くなりそうなのでとりあえず二軍が始まってからの5年分。重要な出来事を時系列順に並べてみた。ブログで容量の制限があるらしく、表が見づらくて恐縮だがサムネイル化できるので拡大してご覧いただきたい(月が入っていない箇所は正確な時期は不明)。





            日本プロ野球で二軍というものが出来たのが1948年。合併により余ってしまった指導者、選手の受け皿的に二軍は誕生した。
            この辺の背景や経緯は野球雲4号野球雲5号に寄稿させていただいたのでぜひお読みください。


            1950年代に入ると多くの球団が二軍を発足させる。しかし、同時に経営難により二軍を解散させる動きも目立つ。南海、松竹は一時期二軍をノン・プロ化し、社会人大会にも参戦させている。


            1952年に二軍初の公式リーグ戦・関西ファームリーグが始まる。関西ファームリーグが後のウエスタンリーグの基礎ともなる。
            関西ファームリーグも全試合の調査ができているので、そのうちこのブログで紹介したいと思う。

            武山球場は三塁打量産球場だった

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              二軍の本拠地の中でもほとんど情報がないのが、サンケイアトムズ・ヤクルトが1968年から1977年まで使用していた武山球場。武山球場は京浜急行電鉄の所有地で今も存在する。地図で見る限り、不便で行くのが大変そうなとても辺鄙な場所にあることが分かる。おそらく当時と球場の形状は異なると思われるが、1960年代当時から今も残る球場でありながら、なぜか情報がとてつもなく少ない。


              そして武山球場について調べてみたところ、意外な真実が分かった。
              ちなみに、なぜ国鉄出身のサンケイが京急の所有地に二軍の本拠地を構えたのかは何かの書籍で読んだ気がするが思い出せない・・・。


              まずは武山球場の当時の広さだが、両翼90メートル、中堅120メートル程度が標準だった時代に、両翼が100メートル、中堅130メートルのマンモス球場だった。

              球場の広さは三塁打の数が物語っている。1969年のイースタンリーグ全体の三塁打は5球団で131本(1球団64試合)。
              現在、イースタンリーグには7球団が参戦し年間で1球団100試合以上日程が組まれているが、昨年1年間のリーグ全体の三塁打の数が134本。1969年は、試合数が1.5倍以上になった現在とほぼ同数にあたる。


              武山球場を本拠地とするサンケイは、リーグ全体の1/3近い42本の三塁打を記録している。ちなみに、本塁打は5球団で年間142本。サンケイに至っては三塁打の半分以下の20本。一番出にくいはずの三塁打が、本塁打の倍以上も出ていたのだ。
              そして武山球場で行われた試合の詳細を見てみるとさらに驚きのことが分かった。




              1969年は武山球場で30試合が行われたが、三塁打が57本も乱れ飛んでいる。1試合平均で1.9本にも及ぶ。
              三塁打が出ていないのはわずかに6試合のみ。

              8月18日のサンケイ対ロッテの試合では1試合6本の三塁打が飛び出すが、ロッテは3者連続三塁打まで記録している。
              10月21日のサンケイ対巨人戦では、巨人の倉田、山内の2人の投手が三塁打を放っている。


              たまたまこの場所が空いていたのだろうが、狭い球場が主流だった当時、一軍とはあまりにかけ離れた広さの武山球場で試合をすることに効果はあったのだろうか。


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